投手は「この打者に負けたくない」という想いを持って打者と向き合い、野手は「この走者を刺したい」という想いを持って守備に着きます。逆も然りです。
私は「打者vs投手」「野手vs走者」こそが野球の醍醐味だと思います。
この勝負をより高いレベルで行うために選手は体を鍛え、技を磨きます。
ところがグラウンドを見渡すと残念な場面によく見かけます。
走者3塁で明らかなチャンスにも関わらず、「いつスクイズのサインが出るか?」に怯え、相手投手に対して明らかに集中を欠いた打者。
緩いゴロが飛んで来ても「確実に捌く」ことに気を取られ、エラーはしないものの簡単に内野安打にしてしまう内野手。
「そんなとこまで飛ばんやろ?」という守備位置にいる外野手。
同じようなフォーム、同じような配球パターンで投げる投手陣。
こういう選手は「ベンチの評価と戦っている選手」だと思います。
私はこういう選手には心から同情します。
この子たちは野球をやっていて楽しいのか?
指導者はこんな奴隷みたいな選手を育てることに意味があるのか?
先日、うちの息子が面白いことを言っていました。
その日は練習試合で6回2安打1死球6三振の無失点で好投したのですが、夕食の時に
「今日の1番の収穫はあのデッドボールだよ。スライダーが左打者の左足に当たったから。去年から『左打者から空振りを取るスライダー』をずっと課題にしてきて、どうやったら曲がり始めを遅くできるかをずっと試行錯誤して来た。俺は球は速くないけど、あのボールがあれば左の強打者も勇気を持って攻められる。」
私は息子に教えられました。
「そうだよな、その気持ちを忘れてはいけないんだよな」と。
野球指導者なので技術は教えます。
しかしその技術は何のために必要なのか?
目の前の打者に負けたくない、あのランナーを絶対に刺してやるという「攻める心」を育んでこその「技術」ではないか?と。
奇策で得点すると監督は嬉しいかも知れません。トリックプレーで走者を刺すと失点を防げるかも知れません。でもそんな野球をやっていて選手の「攻める心」が育つのか?そんな野球をやって育った選手が、この先の困難に対して「負けない!」という気持ちを持って立ち向かっていけるのか?と思ってしまいます。
将来ある子どもたちには小手先の技術よりも、まずは「攻める心」を持って野球に向きあって欲しいし、私も「攻める心」を育む手伝いをしたいと思います。