私が小学生の頃の話です。
私が所属していたリトルリーグは平日も含めてとても厳しい練習を行なっていました。家に帰ればヘトヘト。玄関で寝てしまうくらい疲れ、眠い目を擦りながら夕食を食べていました。「あんなに練習して意味あるのかな?」「あいつはサボっていたのに見過ごされていた。不公平だ!」など小学生なのでご多分に洩れず不満を口にする時がありました。食事をしながらそんな不満をタラタラ言っている頃にだいたい父が仕事から帰ってきます。
父は一通り私の話を聞いた後、「で、お前はランニングは一番前を走ったのか?」と私に聞きました。「上級生には勝てなかった」と答えると、「相手が上級生であってもポジションを争っているのであれば勝てるように努力するのが練習じゃないのか?やることやってない奴が不満言っても格好悪いだけだよな。」と言われました。レギュラーを外された時も「不満を言ってる暇があったらポジションを取り返す努力をした方がいいんじゃないか?」と言われたこともありました。
私の父は野球に関しては素人なのですが、いつも私に「努力する理由」を考えさせてくれる言葉を投げかけてくれる人でした。
スタメンを外された日は「いつもと違う役割でチームに貢献できる日」、足を怪我をした時は「上半身を鍛えることができる日」、試合に負けた時は「新しい目標が出来た日」など。叱るでもなく、かと言って一切同情のような声をかけるでもなく、常に「前を向いて努力を継続すること」を父の言葉から学びました。チームは今で言う「スパルタ方式」でしたが、父の言葉にずっと背中を押されているうちに「目標を持って生活すること」「無駄な努力はないということ」を学びました。
理由をつけて置かれている状況に背を向けることは簡単です。仕事の場面でもそういう人はいます。そんな人は周囲からの批判は回避できるかも知れませんが、最終的に何の結果も残せないし、残せたとしてもそれは一過性のもので継続的なものではありません。不満を言ったりできない理由をつけている時点で自らが「可能性を閉ざしてしまう」からです。