「企業」は経営者と労働者が存在し、労働者は「労働」と「対価」のバランスによって成り立っています。対価(=給料)を貰うために労働が求められ、組織全体の生産性を高めるために会社の規則を遵守することを求められます。対価の代わりに何かしらの「権利」によって労働が報われる場合もあります。つまり労働者が「権利」を主張するのもその背景には「労働」があるからこそ成り立ちます。「労働者」「経営者」それぞれにプロフェッショナリズムが求められます。
「習い事」もある種の営利活動です。塾の場合、塾の経営者は学力向上の機会(教材や授業の提供)の対価として「月謝」を受け取ります。講師は報酬を得ているので「労働」です。塾生は「対価」の見返りとして授業の質の向上や環境の改善などを求める権利があります。「対価」を得る側はそれなりのプロフェッショナリズムが求められます。
これらは「労働」と「対価」のバランスによって成り立ったものです。
「労働」と「対価」の折り合いがつかなければ、労働争議を行うか、労働者が自ら退職を選択するか、もしくは経営者がその労働者を解雇することになります。
少年野球チームはちょっと違います。
全ての活動が「任意」ではあるものの、「協力し合うこと」が前提で成り立っています。足りないものがあれば参加者が費用を供出したり労働を提供することで補い合うことで成り立ってます。「任意=やらなくてもいい」ではなく「誰かがやることで成り立っている」だと思います。例えば選手も誰かが休めば準備や後片付けの負担は他の選手にしわ寄せが出ます。特定の選手が環境改善を求めてその要求に応えようとすれば、全員でその費用を出し合わなければなりません。求めあうばかりだとその負担はどんどん高まります。つまり「自分のことよりもみんなのこと」を重視しなければ成り立たないのが任意団体の特徴だと思います。
保護者の中に献身的な方が居てもそれはあくまでも「善意」であって、そこに「成果」や「レベル」を求めすぎるとそれは「労働」になってしまいます。以前、うちのチームには荷物運搬用の車両がなくて、保護者が当番制で自家用車で荷物を運んでいました。しかし荷物を運搬できる車両は限られているので結果として特定の保護者車両のみが荷物を運ぶ状態になってしまい、負担を公平にするためにチームで荷物車を購入しました。
つまり任意団体の場合は「求め合うこと」ではなく「与え合うこと」が大事なんだと思います。
「ああしたい」「こうしろ」と命令が飛び交うようになればお互いの負担が増え、そのしわ寄せは「善意の高い方」に寄ってしまうことになります。
時には「余計なことを・・・」という場面もあると思います。
でもその前提は「善意」なので、ある程度お互いを許容しあうことも必要なのだと思います。